小葉茶マミの『ひとり時間』

おばちゃま(50代主婦)の大切にしている『ひとり時間』 日々の生活を楽しく、丁寧に綴っています。

著書から知る作曲家:服部良一(まだ読んでいる途中ですが)

こんにちは。小葉茶マミです。

マイペースに読書をしているのに、ブログでは本の話題をしてないことに今更気づきました(≧∇≦)

 

ということで、今日は珍しく今読んでいる本の話をしま~す。

 

朝の連ドラ『ブギウギ』を観ています。その流れで作曲家:服部良一さん(草彅剛さんの演じる作曲家の羽鳥善一のモデル)の著書『ぼくの音楽人生』を読み始めました。 ※以下、敬称略

 

服部良一 私が小学生だった頃には歌番組で指揮棒を振っている姿を多く見ていました。

服部家は、作曲家:息子の克久と孫の隆之、バイオリニスト:孫の百音、他に俳優とバレエダンサーが一族にいらっしゃる芸術ご一家です。それ以上のことを知らない💦 知らなスギル💦

 

ドラマを見ていて、草彅剛さんの演じる羽鳥善一の自由さに時々笑っていますが、その弾けた性格に「ブギウギし過ぎちゃう?ホンマかいな?(笑)」と時々冷風が心を通り過ぎてしまって…このたび本を手に取った次第です。

 

あっ、まだ1/4しか読み進めていないのですが・・・語ります(笑)

 

本を開けると、巻頭に息子さんの服部克久さんが『父の想い出』を語っています。

(失礼ながら、短文にまとめています。)

・家ではいつもニコニコしている父も仕事となるとガラリと変わる。

・大勢で自宅パーティーをして、夜遅くまでドンチャン騒ぎ。

・正月におとそを祝った後にお得意の一句「元旦や もちで押し出す 去年ぐそ」と読み上げ、子供たちが騒いでいた。

買い物ブギでは必死で書き上げた曲で、笠置シズコさんが食事もとらないで家にかけつけたのをつかまえてレッスン。笠置さんが「とりあえず何か食べさして下さい」というのを鬼のように拒否して猛レッスン。あの長い曲をおぼえるまで、メシを食わさなかったもんだから、とうとうべそをかく有様。

 

服部良一さんが、驚くほどドラマの服部善一と重なります。指揮棒を振る姿は、凛としてクールなお人柄をイメージしていたんですけどね。お人柄に興味津々(*^^*)

 

そして、本文が始まります。

服部良一さんの生いたちと誕生地である大阪の明治・大正・昭和の時代を交差しながら、話が進みます。

 

服部良一さんのご両親は音楽に関わる職業ではなく、貧しさ故に小学校5年生から新聞配達や臨時で郵便配達をされていたそうです。学業と音楽の才能に優れていて、小学校を卒業後は働きながら、夜間学校に通い、真面目で熱血に両立され勤勉家。何足もの草鞋(わらじ)を履き目一杯な生活に、遂には神経が衰弱して祖母宅で療養します。その時に、姉の勧めで「音楽隊」に入り、そこから音楽の道へ進んでいきます。

 

と、ここまで読み進めました。

 

生い立ちに平行して音楽的な時代背景の描写がされていて、西洋音楽が入ってきた日本に興味がわきました。【明治2年に横浜で薩摩藩の侍30人が英国から洋楽を伝習した→ようやく明治40年西洋音楽学校が開校→全国で少年音楽隊が盛んになる→関東大震災で巻頭のミュージシャンが関西へ 道頓堀がまるでジャズ発祥のニューオーリンズのようだった→大正天皇崩御で喪に服し、大阪の法令でダンスホールが下火になる→ミュージシャンが兵庫へ移る・・・】

 

その時代背景に、滝廉太郎の短い生涯を思ったのでした。

滝廉太郎 明治12年生まれ、明治36年没。 短い人生によくぞ西洋音楽の道へ進んだものだと、当時の日本が西洋音楽の道に暗かったことを知るほど、震えるような感動が。

 

さーて、続きを読み進めようっと(*^^*)

 

それでは、ごきげんよう